玄関扉を通った先は、南国でした―― 薄い朝霧が張られた視界、その片隅を飛んでいく鳥。 一台たりとも車が通らない、静寂に包まれた島。 夏輝「あふ……ぬふぅ……」 普段よりも早く目が覚めてしまった俺は、外に出て朝の空気を吸うことにしたのだった。 夏輝「良い天気だー」 変わらぬ空、広がる青。 少し遠くへと目をやれば、偉大なる乙杯山がそびえている。 ?「よー、坊主」 夏輝「あ、オッサンだ。おはようございます」 オッサン「オッサンじゃねぇ、ナイスガイと呼べ!」 フレームと車輪だけで出来た飾り気のない、実用本位な自転車。 港で使うようなそれに乗ってきたのは浅黒い肌をしたオッサンだった。 ……ねじり鉢巻はデフォルトなのか? 夏輝「ナイスガイって……阿部さんが来ますよ?」 オッサン「ん?良いヤツじゃないか、アイツ。ちょいと変わってるけどよ!」 うはははと笑うオッサン。 良い笑い方だ。 オッサン「んでどうよ、『VIP Beach』は楽しかったか?」 夏輝「何処ですか」 オッサン「お前らが遊んでいた砂浜だよ。良いセンスだろ?」 それはない。 どことなく『楽しければいい』という雰囲気を感じてしまう名前だな。 夏輝「あー…・・・名付け親は?」 オッサン「ハッハッハ、この島でこんなセンスを持っているのは俺だけだろうよ?」 なるほど、この島の人々はみんなハイセンスなんだな! オッサン「元々は何も名前が無かったからよ。俺が勝手に着けて勝手に広めた!」 夏輝「なるほど、だから誰もそう呼ばないのか……」 オッサン「俺は満足しているから良いんだって。で、どうよ」 夏輝「まあ色々ありましたが、結構楽しかったですよ?」 なんだオッサン。 なんで「これだから空気が読めない子はこ・ま・る・ZE!」みたいな顔をする。 そっち側の答えを求めているのってことか? 夏輝「……ももはいつもと変わらないし、清理さんとあやめ姉が良かった感じ?」 オッサン「ふっ。で、紗耶ちゃんは?」 夏輝「アイツは競泳水着でしたよ?」 ……うわ、今度はまた腹たつリアクションを。 今度は「これだからチェリーはこ・ま・る・ZE!」といったところか。 夏輝「何ですかその表情は」 オッサン「わかってない、わかってないわお前!いいか、水着だぞ!」 夏輝「は、はぁ?」 なんかウチの親父と同じ空気を感じるぞ。 オッサン「考えてみろ。体のラインを隠す水着と出す水着、どっちが魅力的だ?」 夏輝「そりゃ、出すほうですか?」 オッサン「そうだ、そうだろう?……わかるな?」 夏輝「……」 オッサン「競泳用水着は『泳ぐ』ことに全力を注いでいる。普通に着られているものとは違うんだ!」 白熱するのは良いですが、唾を飛ばさないでいただけますか。 このオッサンと結婚した方の苦労が偲ばれるぜ。 オッサン「無駄な部分を完全に削り落とした逸品、身体にフィットしたライン、それこそが競泳用水着!」 言われて見ればそうか、と納得できなくもないのだが。 確かにあやめ姉や清理さんがアレを着たらどうなることか。 バインバインなあの身体のラインが……? 夏輝「くそっ!惜しいことをした!」 オッサン「危ないヤツだなお前は……」 夏輝「何ッ!?心を読まれた!?」 オッサン「いや、口に出してたぞ?というかそうか、お前は巨乳派か……」 夏輝「え?それは言っていなくね?」 ふと、優しい顔になるオッサン。 まるで幼子をいたわり育む父親のような顔。 菩薩の器すら思わせるその顔。 ゆっくりと口を開いて放たれた言葉は…… オッサン「巨乳が正義、そう思っていた時期が私にもありました――」 夏輝「……そうですか」 やっぱりオッサンはオッサンでした。 オッサン「ふははは、なぁに、いつかお前にもわかる日が来るさフハハハハハ!」 夏輝「はいはい、社長乙、っと……」 高笑いしながら自転車で走り出したオッサンを少しだけ見送って、家へと戻る。 なんだか無駄な時間を過ごしたような気がしないでもないが。 しかし、あのオッサンはどこへ行く予定だったんだろう。 急ぎの予定だったりしたなら無駄な時間を取らせて悪いことをした。 オッサン「ぐあああああ!!」 玄関をくぐり、靴を脱いだ刹那に響いたのは、オッサンの悲鳴。 夏輝「オッサン……!?」 再び家の前に戻り、辺りを見回す。 少しばかり遠くに、オッサンのような人が倒れているではないか。 夏輝「オッサン……?」 コンクリートには削られた後。 自転車が倒れた時のもののようにも思えるが、これは違う。 なにか、板のようなもので削られたような…… 犯人は、誰なんだ!? オッサン「……あー、痛てぇー」 夏輝「生きてるじゃないですか」 オッサン「いや、鍋蓋だしな」 ……鍋蓋? オッサン「ちょいとばかり話しすぎたか……まぁた怒られるわ。んじゃ、急ぐからよ!じゃな!」 夏輝「あ、いや……はい」 どこから鍋蓋が飛んできたのか、誰が鍋蓋を投げたのか。 そして投げられたはずの鍋蓋は何処へ消えたのか。 それは、永遠の謎である。 Fin.